
![]()
水が澄み切る冬に生まれる手間仕事
いわき和紙は遠野紙とも呼ばれ、いわき市湯本から西側に10数キロほど離れた山間部で作られています。主原料は桑科の植物・楮(こうぞ)。パルプなどの副原料を一切使わないため、非常に耐久性があり希少価値の高い和紙です。過去帳や幣束といった寺社の需要を始め、その風合いを活かしたアート作品などにも利用されています。 江戸時代からの歴史があり、かつては、武家の記録用紙、大福帳用紙の延紙などとしても重宝されてきました。 現在は、瀬谷家一軒のみが冬期間に生産しています。
IWAKI WASI
工房紹介
- 瀬谷安雄
TEL 0246-89-3620
〒972-0164
いわき市遠野町深山田字小石平5
遠野和紙の歴史
棚倉藩の奨励によって作られた遠野和紙の歴史は永禄年間(1558〜69)にさかのぼります。水が最も澄み切る冬期間にしか漉くことができないために、農家の副業として紙漉が行われました。江戸の市場では「磐城和紙」と宣伝され、古川古松軒の「東遊雑記」にも盛んに生産されている様子が記されています。明治20年ごろには約600戸が生産し、障子紙として一般家庭の需要にも応えていました。第二次世界大戦では、丈夫な紙であることから、風船爆弾の材料としても使われました。勤労奉仕の小学生が和紙をコンニャク糊で貼り合わせて風船爆弾を作り、勿来海岸から飛ばしたのです。
職人の技を知る
和紙づくりは、夏に育てた楮(こうぞ)を収穫するところから始まります。大鍋で蒸して原木から黒皮を剥ぎ取り、その後、白皮を煮沸してソーダ灰を加え、紙を川水にさらしてチリやソーダ灰をとり、打解、溶解の手順を経て、ようやく漉舟で漉くことができます。漉いた紙は、天日などで乾燥。最後に裁断するまでには、90〜100時間ほどの手間暇がかかります。「紙漉は水が勝負。寒中には微生物や植物の種子が川の水に混ざらないので、最も澄んだ状態になります」と話すのは、瀬谷安雄さん。
昭和30年代にビニールが多用されるようになって障子紙が売れなくなり、多くの農家が紙漉をやめました。そんななかで、瀬谷さんだけは混ぜものなしの紙漉を続けました。「相馬野馬追で使う古い甲冑にも和紙が使われているということで、修復する人が『今でも同じものが手に入る』と喜んでいました。こういうことがあると、『続けてきて良かった』と思いますね」
