工房紹介
- 会津本郷焼事業協同組合
TEL 0242-56-3007
〒969-6152
大沼郡会津美里町川原町甲1823-1
会津本郷焼の歴史
文禄2年(1593年)、会津領主の蒲生氏郷が若松城の屋根を改修するにあたって播磨国(兵庫県)から石川久衛門ら瓦工を招き、城の黒瓦を製造させたのが会津本郷焼の始まりと伝えられています。
その後の天保2年(1645年)、会津藩主・保科正之が、尾張(愛知県)から長沼(福島県)に移住していた陶工・水野源左衛門を召し抱え、焼き物の製作を始めるよう命じました。源左衛門は会津の山々を調査して良質の粘土を発見し、「凍み割れしない瓦」を作りました。
寛政12年(1800年)には、佐藤伊兵衛が有田や京都で習得した磁器の製法により、現在の会津本郷焼の原型が完成。会津本郷焼は会津藩の支援を受けて発展し、白磁(はくじ:白色の磁器)の製造も始まりました。
幕末の戊辰戦争や大正5年(1916年)の大火事等で打撃を受けましたが復興し、明治時代の最盛期には100軒の窯元がありました。しかしその数も徐々に減少し、現在は16軒となりました。平成5年(1993年)、通産省(現:経済産業省)より伝統的工芸品産地と指定されたことにより活気を取り戻しつつあり、伝統の技を受け継ぐ各窯元が、新商品の製作に力を注いでいます。
職人の技を知る
原料には地元から産出される陶土を使用しています。
製作において職人の腕の技術が問われるのが成形作業です。以前は手ろくろを使用し、手動でろくろを回転させながら行いました。現在は動力ろくろが主になっています。厚みや形をバランス良く整えるためには技術を要しますが、どちらも実際にやってみて身体で覚えるのが一番良いと言われています。
磁器は、呉須(ごす)という青色の絵の具を使った染付や、日本や西洋の絵の具を使った多色の色絵(いろえ)があります。焼くことでにじむため、焼き上がりを考慮しながら、山水、花鳥風月などが一つひとつ丁寧に手描きされます。また陶器には、あめ釉(ゆう)や、灰釉(かいゆう)等の釉薬(ゆうやく)が使われます。
昔と違って、分業で行っていた作業も今はすべての工程を一人の職人が行っていますが、会津本郷焼は日常品であるため、使いやすさ、丈夫さ、軽さを第一に作り上げることは変わりません。近年はデザインや絵付けに個性のある作品も多くみられます。

