
白河市内の国道294号と国道4号が交差する「女石(おんないし」という所に、遊女・志げの墓があります。
お盆ということもあり、花が手向けられていました。この墓だけではなく、白河にある戊辰戦争の慰霊碑には、今も白河の住民が花を手向け、供養しています。
さて、この志げという遊女については、戊辰戦争が引き起こした逆恨みが原因の悲しい話が伝わっています。
白河の妓楼坂田屋の志げは、長州藩士で奥羽鎮撫総督下参謀・世良修蔵にひいきにされていました。奥羽列藩同盟軍から命を狙われていた世良は、白河にとどまることは危険と察し、慶応4年閏4月18日に白河を脱出しました。(その後、4月20日に福島で斬首)
時は、明治2年。戊辰戦争の敗北を逆恨みした会津藩士が志げを殺害。その会津藩士は坂田屋の用心棒に殺害されて、その仇を討たれたと伝えられています。
※遊女志げの話は、「明治の礎 白河近郊 戊辰の墓標(荒井忠秋著」に掲載されています。当館で1冊600円で発売中