
お花見をしましょう。
会津でも、ようやく桜が咲き始めました。
おそらく、今週中に見頃になることでしょう。
被災者の方が、震災があっても桜は咲くんだね、とつぶやきました。
私は、そうですね、と小さな声で答えることしかできませんでした。
それでも、
いいえ、だからこそ、
桜を見上げ、お花見をしようと思います。

大酒くらって、酔っぱらって騒ぐことがお花見ではありません。
私は今年、夜桜を見上げ、献杯をしたいと思います。
わたしから被災された「あなた」へ、
自分勝手な献杯をしたいと思います。
これは私の、「堅めの盃(さかづき)」。
もとより、相思相愛の仲ではない。
被災されたあなたは、会津になど来たくはなかった人だ。
どこよりも、故郷が恋しいはず。
けれども、生きている限り、私はあなたのそばにいようと思います。
大切な人や、家や、大好きな場所を奪われたあなたの気持ちを、
どうやっても、私は知ることができない。
だから、あなたは泣き叫ぶかもしれない。
罵るかもしれない。
それとも、ただ、押し黙るかもしれない。
けれども、生きている限り、私はあなたのそばにいようと思う。
もちろん、あなたの恋しい故郷への扉が開いたときには、
すぐに飛んで帰ってください。
でも、飛んでいった後も、私はあなたを忘れない。
心を添わせています、ともに白髪の生えるまで。

なぜなら、あなたがそこにいてくれなくては、
私の孫もひ孫も、生まれることはできないのです。
たとえ生まれてくることは出来たとしても、
私が、私の家族だけに育てられたわけではないように、
あなたや、あなたの孫やひ孫の助けがなくては、
私の孫もひ孫も育つことはできないのです。
会津は、さすけねぇ。
地震にも、津波にも、放射能にも、今のところはさすけねぇ。
だから、会津人の重たい口を開いて、声を掛けてみんべし。
「さすけねぇかよ?」
(大丈夫だと思うのか?)
たとえ、そう怒鳴られたとしても、
傷の「手当て」は、そばにいなくては、できない。
だから私は、自分勝手な堅めの盃をささげ、
あなたのそばで、
自分に何ができるか、ずっとずっと思い続けていよう。
今宵、夜桜と、あなたと、
そして、
喜多方が生んだ日本のナイチンゲール「瓜生岩子」へ、
精一杯の心を込めて、献杯。
「被災者・避難者を迎え入れるにあたって注意してほしいこと」
福島県精神保健福祉センター 所長 畑哲信
http://www.pref.fukushima.jp/aizuhofuku/daisinsai/onegai.pdf
喜多方銘酒 会津錦「さすけね」
http://www.aizunishiki.jp/syokai.html
