
都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都々古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“上宮"にあたります。
かつて「東夷」を鎮定した日本武尊が、初め建鉾山(白河市)に鉾を祀り、のちに大同2年(807年)坂上田村麻呂が棚倉城の地に移したと伝えられます。寛永元年(1624年)に棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を築城するため現在の地に神社を遷宮しました。
造営当時の部材が多く残る本殿は国指定重要文化財に指定されています。
また棚倉町出身の近代画家勝田蕉琴の筆塚もこの境内にあります。