
江戸時代後期に建築された浜通りの農家造りの建築物で、明治5年学制頒布される直前に開校した「観海堂」の校舎として使用されました。福島県で最も早く共立学校として認可された学校であることから、福島県史跡として指定されていました。東日本大震災時に生じた津波により家屋は流失してしまいましたが、今は「観海堂跡地」と名称を変更をした上で、福島県史跡として指定されています。
現在は、芝生の公園として、屋外イベントにも対応可能です。
「観海堂」の名称は、「孟子」の観海という言葉からとられ、海が見えるところ、海のように広い視野という意味が込められていると言われています。