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2018.11.21(水) 08:48 取材記事(教育旅行)福岡県立修猷館高等学校が、富岡町で原子力災害について学びました。

富岡町3.11を語る会語り人の西原さん

今年度から休校となった県立富岡高等学校

夜の森・桜並木の前で避難地域の境界線を説明

高台からは福島第二原発が見え、原発事故を説明

[日程]
全体日程  平成30年9月30日から10月2日(2泊3日)

[学校名・学年・人数]
修猷館高等学校 1年・2年 50名

[来県市町村]
富岡町、浪江町、相馬市

[本県を訪れた目的]
 平成23年度から東日本大震災について考えることをテーマに研修旅行を実施している。今年で8回目となる研修は、宮城県の閖上などの津波被害からの復興状況を視察した後、原子力災害の現状とその影響について学ぶため福島県富岡町に初めて入り語り部ガイドがついて案内説明を受けた。

[取材内容]取材日:平成30年10月1日(場所:富岡町内)
 「富岡3・11を語る会」の語り人・西原千賀子さんの説明を受けながら、富岡町内をバスで回りました。
 町の中に進んでいくと震災当時の被害のまま放置されている建物が姿を現し、生徒たちは食い入るように眺めていました。
 また、休校となった富岡高校の前では、当時の高校生の様子について熱心にメモをとったり、カメラのシャッターを押していました。
 夜ノ森の桜並木の通りではバスから降りて設置された線量計の前で、道1本挟んだ両側で住める住民と避難が続く住民がおり、同じ住民でも色々な思いを持っているとの説明を聞きました。震災から7年以上経っても未だ続く原子力災害と新たな課題が生まれている現状を知り、原子力災害の重大さを実感していました。
 最後に沿岸の震災前にはロウソク岩の見えた仏浜海岸の高台から福島第二原発を眺め、原発事故はなぜ起きたのか説明があり、この高台にも20mを超えた津波が押し寄せた話しを聞かされると特に驚いていました。
 語り人の西原さんは最後に「皆さんが今日学んだことを活かして富岡町の復興に役立ててくれることを心から願っています」と生徒たちへ声をかけていました。

[生徒のコメント①]
 伸びきった草、辺り一面に広がる黒いビニール袋、荒れ果てたコンビニ、津波によって大幅に削られた崖など衝撃的な場面がたくさんありましたが、震災から7年たった今でも家に帰れない土地があり、そして生きているうちにもう帰れないかもしれない…、そのことが一番衝撃的でした。
 今回語り部さんにガイドをしてもらい、現地の人の生の声を聞くことができ、とても有意義な研修となりました。これから帰宅困難区域を見学して考えたこと、学んだこと、「生きているうちにこの富岡がきれいになってほしい」という語り部さんの切実な思いを家族や友人など周囲の人に伝えていきたいと思います。そして、東日本大震災の復興はまだ終わっていないということを知ってほしいと思いました。
(1年女子)


[生徒のコメント②]
 帰還困難区域を見学し、人が立ち入るか立ち入らないかだけでこんなにも街が変わってしまうのかと言葉を失ってしまいました。また、放射線が目に見えないがために、帰宅困難地域が本当に汚染されているのか、そこにバリケードを設置する必要があるのかと問いただしたくもなりました。目に見えない放射性物質との戦いは、容易に人が入れない中では、やはり復興の道のりはまだ遠いのだろうと、一日しか福島を見ていなくても感じました。
(1年男子)

[先生のコメント]
 本校の「世のため 人のため」の精神のもと、この研修旅行を行ってきた。東日本大震災に向き合い、自分の目で見て知る、来て感じる、それが一番大切なことだと思う。そして見て、聞いて、感じたことを帰ったらより多くの人に伝えてほしい。伝えることでいつ起きるかわからない災害に対して自分に何ができるのか考え、これからの自分たちの生活に活かしてほしい。
(担当教諭 福崎 泰規先生)

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