INTERVIEW インタビュー

中通り

福島県醤油醸造協同組合 理事兼工場長 紅林 孝幸さん

先代から次世代へ醤油づくりの技を伝えていく、それが自分たちの役目。

こちらは醤油の醸造蔵というよりまるで工場のようですね。

 福島県醤油醸造協同組合は昭和39年、最初の東京オリンピックが開催された年に誕生しました。ちょうど日本の高度経済成長期を迎えた頃ですが、時を同じくして福島県の醤油業界も大きな転換期を迎えた時期でもありました。

転換期というと設備の近代化ということですか?

 もちろん設備を新しくすることも近代化の一つですが、これまでの醤油づくりの流れを大きく変え、効率化を図ったといった方がいいかもしれません。
 醤油は蒸した大豆と炒ってひき割った小麦を混ぜ合わせ、麹菌を加えて麹を造ります。それまでは麹と食塩水を混ぜてゆっくりと発酵・熟成させ、搾って火入れしてという工程をすべての蔵元が自前で行っていました。こうした昔ながらの製法は良い面もありますが、手間とコストがかかり安定した供給が難しいという側面もありました。
 そこで我々が火入れ前の「生揚(きあげ)」と呼ばれるいわゆる生醤油を造り、それを県内の各蔵元に提供する方法を生み出しました。これは当時日本初となる仕組みで、後に「福島方式」と呼ばれ全国各地に広まっていったんです。

「醤油の素」を作っているとは意外です。

 みんな同じような醤油になるのではと思われるかもしれませんが、この生揚を使って各蔵元がそれぞれの味に仕上げるわけです。この方法だと新しい味の開発にも取り組みやすくなるので、時代のニーズに合わせた商品開発も可能になると思っています。もちろん、全ての工程を自前で行っている蔵元もありますよ。
 当組合では近代設備・技術を投入しながらも伝統的な製法は守っています。メーカーの数も減少していますので、醤油という誇るべき発酵文化を後世に残すために必要なことだと考えています。

福島県内の老舗醸造元は多くが代替わりしているようですね。

 そうですね。先代は自分から見て親のような存在ですし、今の代の方は自分と同世代が主流です。交流していく中で醤油づくりの奥深さを教わって、それを次の代に伝えていく。なんとも不思議な感覚ですが、そうやって発酵文化は継承されてきたんだなと思っています。
 当組合では工場見学も行っていて、地元の小学生たちが見学に来ることもあります。自分たちが口にしている醤油にどんな歴史があって、どうやって出来上がっていくのか、子どもたちにも興味を持っていただけたらうれしいですね。