MODEL COURSE

近藤勇、井上源三郎ら多くの仲間を失い、自らも負傷しながら辿り着いた地、会津。 数ある近藤勇の墓の中で、唯一土方歳三が訪れることができた天寧寺や歳三と新選組との別れの地となる大塩宿など、 土方歳三とゆかりのある地を巡ります。

01
江戸時代に参勤交代の宿場として会津藩士たちが足を休めた宿場町

戊辰戦争時には東西両軍の攻防戦が行われ、砲弾や刀傷が残る家屋も現存します。 宇都宮城攻防戦で足を負傷した歳三は、ここを経由し療養のために会津へむかったと云われています。

住所/福島県南会津郡下郷町大字大内
問合せ/大内宿観光協会 TEL. 0241-68-3611

車で約50分
02

気分は新選組 隊員!「会津新撰組記念館」(会津若松市) 会津藩や新撰組の資料をはじめ、旧幕府軍や新政府軍等の貴重な資料を展示しています。 斉藤一の墓や土方歳三らが寄宿した清水屋旅館跡等の旧跡もほど近く、無料の「新選組羽織」を着用して記念写真を撮ることもできます。 ※不定休 入館料あり。

住所/福島県会津若松市七日町6−7
問合せ/会津新撰組記念館 TEL. 0242-22-3049

車で約2分
03
戊辰戦争で負傷した土方歳三が滞在した宿

幕末の志士に影響を与えた吉田松陰や新島襄・八重(旧姓山本)なども宿泊した旅館跡。 宇都宮城をめぐる攻防で足を負傷した土方歳三は、清水屋に宿泊し治療を受けました。

住所/福島県会津若松市大町1丁目1−38

車で約15分
04
東山温泉で最古の源泉と伝わる、開湯1,300年以上の温泉地。

かつては歴代藩主の湯殿でもありましたが、歳三もこの温泉に通い療養に専念したと云われおり、その待遇の良さが伝わります。傷が癒えてくると、そのまま川に入って泳いだという逸話も残っています。

住所/福島県会津若松市東山町湯本
問合せ/東山温泉観光協会 TEL. 0242-27-7051

宿泊
2日目
05
新選組局長、近藤勇の墓

鳥羽伏見の戦いで敗戦後、捕縛された東京板橋で斬首刑となった近藤勇。歳三は藩主であった松平容保に懇願し、会津城下を見渡すことのできるこの場所に墓を建てたといいます。建立の際に近藤の遺髪を埋葬したと伝えられています。 隣には箱館戦争で散った歳三自らの墓も建てられ、激動を戦い抜いた二人がいまでも会津の地を見守っています。

住所/福島県会津若松市東山町大字石山天寧208
問合せ/天寧寺 TEL. 0242-26-3906

車で約10分
06
会津若松市のシンボル、鶴ヶ城

戊辰戦争最大の激戦が繰り広げられ、数多くの悲劇も生まれました。
新政府軍の総攻撃が開始されると、1日におよそ2,500発もの砲弾が打ち込まれたといいます。そしておよそ一ヶ月の籠城戦の末、降伏し会津戦争が終結したのです。

住所/福島県会津若松市追手町1−1
問合せ/会津若松観光ビューロー TEL. 0242-27-4005

車で約45分
ちょっと
寄り道
大塩宿

会津に迫る新政府軍と歳三が復帰した新選組は、母成峠で戦うも敗走することとなります。散り散りになった新選組の隊員とほかの兵は、塩川村の大塩宿(大塩温泉)に終結。ここで歳三は旧幕臣の大鳥圭介に、残された新選組の隊員を託し、単身仙台へ向かいます。
この大塩宿は歳三と新選組との別れの地となります。

住所/福島県耶麻郡北塩原村大字大塩付近

車で約15分
喜多方IC