MODEL COURSE

負傷した土方歳三と代わり、新撰組の隊長となった斎藤一。歳三が函館に向かった後も会津に残り激戦を繰り広げました。 斎藤のゆかりの地、戦地や城を巡り、戊辰に散った志士達の思いを馳せるコースです。

01
東北の戊辰戦争の緒戦・白河口の戦いで、合戦の舞台となった「白河小峰城」

政府軍が会津侵攻の足がかりとして城へ攻め込みますが、隊長として新選組を率いた斎藤一らの返り討ちに。しかし城の南の稲荷山、東の雷神山、西の立石山の3方向からの陽動作戦を仕掛けた新政府軍に敗れ、城を奪われてしまします。 東北の戊辰戦争の勝敗は、この緒戦ですでに決していたといわれます。

住所/福島県白河市郭内1
問合せ/白河市観光課 観光開発係 TEL. 0248-22-1116

車で約1時間
02
新政府軍と、会津藩、二本松藩、新選組を含む旧幕府軍が衝突した「母成峠」

津侵攻を防ぐ最重要箇所でしたが、濃霧のなかでの危険な戦い、兵士の数や武器に勝る新政府軍に圧倒され会津藩は敗走し、侵攻を許すこととなります。ここにはいまでも当時の防塁や砲台跡、さらに古戦場碑や東軍殉難者慰霊碑があります。

住所/福島県耶麻郡猪苗代町大字蚕養

車で約30分
03
会津藩、東の要だった「猪苗代城」

母成峠敗戦後、土方歳三と斎藤一らがこの城で会津藩と軍議を行ったと云われています。新政府軍の侵攻に備えるために、湖南にいた会津藩砲兵隊に援軍要請の手紙を出しますが、援軍を得られず、城代の高橋権太夫は少人数では戦えないと、城と土津神社に火を放ち若松城に撤退。この戦で建物は全て消失し、ここに猪苗代城の役割は終わりを告げます。

住所/福島県耶麻郡猪苗代町字古城跡

宿泊
2日目
04
戊辰戦争では会津藩の本営となった「旧滝沢本陣」

松平容保はこの本陣より悲壮な覚悟で白虎隊士に出撃命令を下しています。そして新選組を戸ノ口原戦場へ送り出した場所でもあります。 ここにある建物の柱や壁には、いまでも戊辰戦争時の銃痕や刀傷が生々しく遺され、戦争の激しさを物語っています。

住所/福島県会津若松市一箕町滝沢122
問合せ/旧滝沢本陣 TEL. 0242-22-8525

車で約15分
05
新政府軍と新選組の激戦の地「如来堂」

母成峠の戦いに敗れた旧幕府軍と新選組。援軍を要請に北へ向かおうとする土方歳三らと分かれ、藩に留まることを決意した斎藤一らは、この如来堂に立てこもります。そして城下に進出した新政府軍と激しい戦いを繰り広げた末、会津新選組のほぼ全員が討ち死を果たします。しかし斎藤一ら数名は生き残り、最後まで抵抗したと云われています。

住所/福島県会津若松市神指町如来堂

車で約10分
06
半生を会津人として生きた斎藤一と妻・時尾が眠る「阿弥陀寺」

戊辰戦争後、会津藩士の娘、高木時尾と結婚した斎藤一は、明治の時代では警視庁に勤務し、西南戦争にも参加しています。その後、東京へと移り住み東京教育博物館に勤務します。「死んだら会津に墓を建ててくれ」との遺言を残して、72年の生涯を閉じます。

住所/福島県会津若松市七日町4-20
問合せ/七日町観光案内所 TEL. 0242-23-9611

ちょっと
寄り道
会津新撰組記念館

気分は新選組 隊員!「会津新撰組記念館」(会津若松市)
会津藩や新撰組の資料をはじめ、旧幕府軍や新政府軍等の貴重な資料を展示しています。 斉藤一の墓や土方歳三らが寄宿した清水屋旅館跡等の旧跡もほど近く、無料の「新選組羽織」を着用して記念写真を撮ることもできます。 ※不定休 入館料あり。

住所/福島県会津若松市七日町6−7
問合せ/会津新撰組記念館 TEL. 0242-22-3049

車で約20分
会津若松IC